三笠山か 富士山か
2月12日の「5時ナビ道新ニュース」で
「日本一の左官職人」
中屋敷剛左官工業に勤める
高橋泰喜さんを紹介しました。
去年行われた
「第62回技能五輪全国大会」左官部門で
北海道からは49年ぶりの金賞を受賞した
20歳の若き職人です。
私の「へっぽこ左官体験」も含めて
動画はこちら
↓
https://www.youtube.com/watch?v=qfEn59hgNhk&t=7s
個人的に、左官という職業には
シンパシーを抱いていました。
手前勝手かも知れませんが
アナウンサーに重なる部分があると
思っていました。
どちらも、自らの体を使って
「実践」できなければ 成り立たない仕事です。
コテを使って「塗ってなんぼ」が左官。
口を動かして「しゃべってなんぼ」がアナウンサー。
どれだけ上達しても、
「技術に終わりはない」(中屋敷左官工業・中屋敷剛社長)
のが左官。
どれだけ工夫した表現をしても
「全ての人の心に届くことはない」
のがアナウンサー。
「ちょっと鍛錬を怠ると、いくつになっても下手になる」
(同社長)のも、同じです。
「職人の世界」といえば
耳ざわりはいいですが
デジタル全盛の今の世の中にあって
アナログ感たっぷりの
「古めかしい仕事」に映るのも
相通ずるところかも知れません。
ゆえに、この仕事に魅力を感じ
前進し続ける高橋さんの姿に
若き日の自分が重なります
...って言ったら高橋さんに迷惑でしょうが。
焦りも、葛藤も、蹉跌も含めて
それでも「今よりうまくなりたい」と
もがいていた日々が思い出されます
...それもまた高橋さんに迷惑でしょうが。
中屋敷社長の話で印象に残ったのは
「(高橋くんは)目標ができてからガラッと変わった。
自分で自分に約束して、自分で自分に負荷をかけて
自分で自分に厳しくして
自分で成果を出し、自分でつかむという
職人に絶対必要な『自己成長モデル』を
体現してくれた。
技能五輪を目指す3か月で急激に
ものの考え方、生き方、仕事の仕方
すべてが変わったんです。
日本一という結果ももちろん素晴らしいが
そこに向かうプロセスに価値があった」
というものでした。
中屋敷剛社長(右)と高橋泰喜さん
横浜高校野球部の元監督で
高校野球史に残る名将、
渡辺元智さんの言葉を思い出しました。
「十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
三笠山に登る一歩
富士山に登る一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標が その日その日を支配する」
もともとは大正時代の思想家、社会教育家、
後藤静香(せいこう・1884~1969)の
「第一歩」という詩です。
松坂大輔はじめ同校からプロ入りした
多くの選手たちも
この言葉を、高校時代に
心に残ったものとして挙げています。
「技能五輪全国大会で金賞を取る」
「日本一になる」
その目標が高橋さんの毎日を支配し
技量はもちろん、生き方も変えていきました。
目指さなくても、きっと生きてはいける。
目指したからには、困難も伴うし、覚悟もいる。
でも目指さなければ、得られないものもある。
その経験ができたのは
心から尊く、うらやましいと感じます。
同時にその目標を与え、成長を促した
中屋敷社長はじめ「人との縁」もまた
尊く、うらやましいと感じます。
富士山に登ることは
もうないのかも知れませんが
せめて覚悟だけでも
3776mの頂を目指して
残された日々を過ごしたいと
心を新たにする経験となりました。
高橋さんの益々のご活躍を祈念します。
補足)「三笠山」と名のつく山は
道内にもありますが
ここでは標高342mの
奈良の三笠山のことです。
おせっかい情報でした。