「空」について考えてみた
2月1日、札幌・大倉山ジャンプ競技場で
「第36回TVh杯ジャンプ大会」が行われます。
今年の実況に向け
現場取材をはじめ準備を進めてきましたが
改めて、空に飛び出していく選手の姿を見ると
独特の解放感を覚えて爽快な気持ちになります。
時に厳しい寒さの中での取材も
心地よく思えるのはそれが理由だと思っています。
「空に飛び出す」...いい響きですよね。
翼を持たない人間の、根源的な憧れが詰まっています。
実は最近、ずっと間違えて覚えていた
あることに気がつきました。
「空」という文字の部首は
「うかんむり」だと長らく信じて疑わなかったのですが
正しくは「あなかんむり」でした。
「空」は、「穴」と「工」の組み合わせた文字で
「穴」は「厚い土の層を掘って作った
室の入り口」を描いた象形文字で
「工」は「ゆるく弓状に曲がった形のもの」。
すなわち、穴の上部が弓のような
ドーム状になっている状態を表し
もとは「穴」そのものを意味していたそうです。
穴の中には何もないことから
「あく」「から」「むなしい」といった意味を持つようになり
更に「自分たちの頭の上にある大きな穴」
というイメージから、
「そら」という意味にもなったそうです。
※専門家の方から聞いたのではないので
もし真説をご存じの方はご教授ください
頭上に広がる、大きな、大きな「からっぽ」の穴。
そこから雲が生まれ、雨や雪が降り、風が吹き、
時に雷が落ちて人を脅かす。
そこから「神々が降臨する」といった
想像も広がったのかもしれません。
すなわち「何もない」「からっぽ」に
どこか神々しいというか、
畏敬の念を抱かせるものがある
ということなのだと思います。
空に飛び出すジャンパーは
「神のいる領域に踏み出すものたち」
―そんな姿が想起させられるから
思わず、見入ってしまうのかも知れません。
よろしければ、そんな視点で
「空に飛び出す」選手たちを
見守っていただければと思います。
話はややそれますが...
空、すなわち「何もない」「からっぽ」は
人に特別な想像を働かせる。
だから、腹の中に何もない、からっぽの状態、
すなわち「空」復のときの
私たちの神経の研ぎ澄まされ方は
特別なものなのかも知れません。
きっとこれは、誰もが感じたことがあるはずです。
腹の「からっぽ」を満たしたいという渇望は
生物最強のモチベーションにして
それは「生きること」そのもの。
「空に飛び出す」選手たちを見たあとは
そんな渇望に、素直になってみたいと思います。
なぜ、そんなことを思ったのか。
それは...
↓
https://www.tv-hokkaido.co.jp/special/jump_36/
からです。