「絆」について考えた
今月13日、
パリ五輪バドミントン混合ダブルスで
銅メダルを獲得した
東野有紗選手の
故郷・岩見沢への凱旋を取材しました。
万雷の拍手に包まれ訪問した岩見沢市役所で
市の「スポーツ栄誉賞」を授与されると
本当に晴れやかな表情を見せた東野選手。
ただ、「遠征にも炊飯器を持っていくぐらい大好きなので」
と、副賞の岩見沢の新米60キロのほうに
より目を輝かせていたところに
いかにもアスリートらしい率直さが表れていました。
その後、単独でのインタビューも
させていただきました。
印象に残ったのは
中学から岩見沢を離れて研鑽を積む東野選手が
ご家族や故郷について語ったときの言葉です。
「小学1年からバドミントンを始めましたが
お兄ちゃんはサッカーをやっていて
当時のことを考えると
きょうだいが別々のスポーツをする中で
子どもをサポートするのは、
親は本当に大変だっただろうなと改めて思います。
しかも母は私と一緒に岩見沢を離れて
福島で一緒に暮らしてくれて
ずっとサポートしてくれてました。
そして、たまに帰ると、いろんな人が声をかけて
『忘れられてないんだな』と感じることができました。
そういうことがあったから
小学生までしかいなかったけど
『私は岩見沢出身だ』という気持ちを
いつも持てていました。
だから、こうして迎えてくれるのは
本当にうれしいんですよね」
こうした話を聞くと
「家族との絆」とか「故郷との絆」
というフレーズを使いがちです。
今のご時世では耳ざわりがよく、
なんとなく収まりのいいフレーズなのですが
「絆」という言葉の歴史
=語源は「家畜などを動けないようにつないでおくための綱」で
古来は「束縛」や「自由を制限する」という
ネガティブな意味で使われていた、
ということが頭に浮かんで、
あまり安易に使いたくないと
これまでは考えてきました。
ただ、この日の東野選手の話を聞いていて
「断つことのできないつながり」という
昨今の使われ方に
頑なに抵抗を感じる必要はないのではないかと
素直に思えました。
「断つことができない」というのは
「仕方なく」とか「逃れられない」といった意味が
内包されたものばかりではなく
「だって、家族じゃん」
「だって、故郷じゃん」といった、
"疑いの余地のない自然な心情"からくるものだってある。
それを「絆」といってもいいじゃないかー
そんな気持ちになったのです。
言葉を扱うものとして
「気安く使ってはいけない表現だ」
という気持ちは変わらないのですが
それに相応しいという背景があるのなら
素直に使ってもいいのではないか。
そんな「気づき」を与えてくれたインタビューでした。
東京、パリと2大会連続で
五輪でメダルを獲得した
渡辺勇大選手とのペアを解消し
女子ダブルスで
4年後のロサンゼルス五輪を目指す東野選手。
これまでの実績をリセットし
異なる種目で世界のトップを狙うのは
「覚悟の必要な選択でした」と
決して平坦な道のりではないことを
自覚しつつ
「(女子ダブルスに)転向できなければ
現役引退するつもりでした。
種目を変えることは
バドミントンを続けるための挑戦です」
と前を向いています。
これからも家族や故郷の「絆」の中で
充実した時間を重ねていくことを祈念します。