時を結んだ1週間
新シーズンは3か月以上先なのですが
今週は「個人的・レバンガウイーク」になりました。
まずは19日月曜の「5時ナビ」で
来季の選手契約を結んでいる
島谷怜(れん)選手を紹介しました。
去年12月のインカレでPGとして東海大を優勝に導き
年明けから特別指定選手でレバンガに加入。
脚力を生かしたハードなディフェンスと
本人も「こだわっている」という視野の広さを生かしたアシスト力で
徐々に存在感を高め、プレータイムを伸ばしていきました。
シーズン中に、真っ先に来季の選手契約を結んだところに
クラブの期待の大きさがうかがえます。
釧路出身で
東海大四中(当時)から東海大札幌に進んだ道産子選手。
実は中学3年生のときの全道中学大会で、
私は彼のプレーを実況しました。
すでに生徒募集を停止していて、彼らが「最後のバスケ部員たち」。
3年生だけ、たった6人のメンバーで
全道制覇を達成し、全国中学大会ではベスト8に進出。
そのときのキャプテンにしてエースが島谷選手でした。
クールで、クレバーで、そしてハードなプレーは
他の選手とは明らかに放つ光が違っていたのを覚えています。
彼は北海道のバスケ界にとっては「レバンガ世代」といえる存在。
バスケットを始めたときから身近に
国内トップリーグに所属するレバンガがあり、
「プロのバスケットボール」を自然に意識し
自然に憧れを抱きながら育った世代です。
プレーのクオリティ、プロアスリートとしての立ち振る舞い、
ブースターとの距離感などを自然に吸収しながら
選手として成長した彼が
プロキャリアのスタートのクラブとしてレバンガを選んだのは
自然であり、価値のあることだと思います。
「僕が小さな頃、桜井(良太)選手や折茂(武彦・現社長)さんが
『こういう存在になりたい』と思わせてくれた選手だった。
僕も地元・北海道で、当時の自分が抱いたような、
子どもたちに夢を与えられるような選手になりたいと
常に思っています」という島谷選手。
「憧れ」というタスキが継承されている、
これこそが「地域にスポーツがある意義」を示す言葉です。
新しい時代の担い手になって欲しいと願います。
島谷選手が6人の部員で全国大会を戦った数日後に
レバンガは翌年から始まるBリーグの
1部(B1)への参入が決定。
経営計画が条件を満たさず一度は参入が見送られ
1カ月の「継続審議」を経ての決定に
男泣きした折茂社長の姿は、多くの人の心を揺さぶりました。
↓(当時のことを書いたブログです)
https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2015/07/post-94.html
https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2015/08/post-98.html
あの日があるから、今の島谷選手がいるー。
時間の重みを実感します。
そのときの苦難の道のりを
「思い出に残っているできごとの一つ」として挙げたのが
島谷選手の企画放送から3日後に22日、
来シーズン限りでの現役引退を発表した
桜井良太選手。
当日は代表質問をさせていただきました。
2007年に、縁のない北海道に来て16年。
「北の鉄人」と呼ばれたタフネスぶりと全力プレーで
折茂社長と並ぶ「北海道バスケ界の顔」でした。
Bリーグ誕生前から継続された
「トップリーグ636試合連続出場」の記録は
いまだに破られていない偉業です。
「今は引退への感傷より、最後のシーズンを戦う中で
チームがどうなっていくのか、どうチームを作っていくのか
ワクワクする気持ちの方が大きいです」と
清々しい表情で思いを語った桜井選手。
現役ラストシーズンに
チームの若い選手にはどんな姿を見せたいか、という質問には
「ポテンシャルを持った良い選手はたくさんいます。
彼らに対して、最後だから何かを見せたいとかはないです。
そういった部分は、今までもずっとやってきたつもりです。
当たり前のことは当たり前にできるチームにしたいですし、
当たり前の毎日の練習をしっかりとこなしていく姿を見せて、
『最後のシーズン、桜井と一緒にやってよかったな』
と思ってもらいたいです」
と答えました。
いかにも桜井選手らしいコメント。
この思いは島谷選手にも伝わるはずです。
個人的に、印象に残ったコメント。
「北海道に来て16年。
正直、何度か移籍のタイミングはありましたが、
オファーの金額が高くても、条件が良くても、
自分が北海道に残りたいと思ってここまで来ました。
もし、あのとき北海道を離れて、他のチームに移籍していたら、
と考えたことは、あります。
どんな判断をしても、いいことも悪いこともあるものですけど、
『あのときああしておけばよかった』
という悔いは全くありません。
いい決断ができたと思っています」
そういう人生でありたいですよね。
その決断の集大成のシーズン、
しかと見届けたいと思います。
2007年からバスケットボールの取材と中継に関わる者として
過去、現在、未来のつながりを感じる
特別な1週間でした。