怪談に飛び交う「言霊」
8月21日、
久しぶりにホールでのイベント進行をしてきました。
場所は共済ホール。
以前は映画の試写会などで
頻繁にお邪魔した会場ですが
コロナの影響などもあって
ずいぶんご無沙汰していました。
久しぶりに来たからなのでしょうか。
舞台そでの自分の待機場所が、なんだか薄ら寒い。
「こんなもんだっけ」とも思いましたが
なんとも違和感のある薄ら寒さ。
ただ寒いのではなく「うすら」寒い。
もっというと、薄気味悪い寒さを覚える。
更には時々、背中に電流のような寒気が走る。
これってどういうこと...?
それもそのはず。
この日行われたのは、TVhの恒例イベントの一つ
「サッポロ物ノ怪録」でした。
簡単にいうと、ひたすらこわ~い話を聞く会。
怪談師の方々が練りこんだ
とびきりのお話を披露していただく会の進行を
どういうわけか仰せつかり、
前半は、おひとりずつのお話を薄暗い舞台そでで聞き
休憩をはさんで後半は
出演者一同とステージに出て
セッション形式の「こわいトーク」の回しを務めるという役目でした。
そんな場にいれば、そりゃ薄ら寒いわけです。
2日間に渡って行われた「夏季例祭」の2日目、
「本祭の章」にご出演いただいたのは
川奈まり子さん、山口敏太郎さん、中山市朗さん。
左から中山さん、山口さん、川奈さん
一応確認ですが、見えてはいけないものが映ったりしてないですよね...
ご存じの方はご存じでしょう。
いずれも怪談業界(という業界があるかはさておき)の重鎮。
いわばレジェンド級の方々です。
このクラスの方々のお話は
恐いことは、そりゃあ恐い。
...のですが、それだけではない
独特の余韻があります。
ストーリーとしては、すこぶる恐い。
ただ、それらの話の下敷きになっている
風習や因縁などの深淵さであったり
心ならずも命を奪われた人の悲しみや切なさ、
それを生み出す人間の心の闇や社会に理不尽さ、
といった、様々なものも細やかにお話になっていて
重層的に味わうことができた気がしました。
「それが怪談なんです」
ステージを終え、控室でお話をうかがうと
お三方とも、同じことを口にされました。
「怪談って、恐いという感情に訴えながら
それ以外のいろんな話ができるもの。
例えば戦争で非業の死を遂げて
霊になって出てくる人の話は
怪談として語ることもできるけど、
戦争の悲惨さや不条理を伝えるもこともできるし
歴史や、人間の本質について考えさせることもできる。
聞くほうも、そういう知識や受け止め方ができると
また違った恐さとか、その他の感情も湧く。
そこがいいんですよ。
『戦争の話をします』というと誰も聞かないけど
『怪談をします』というとたくさんの人が聞くでしょ。
『怪談』というスタイルを通じて
いろいろなことを伝えたり、受け取ったりできるのが
魅力なんです」
ただそうした奥深い要素は、
まずは、ひたすら恐さを味わわせてくれるからこそ
じんわりと伝わる効果があるもの。
心おきなく、誰もを恐がらせるのは
そんなに簡単なことでありません。
人を恐怖へと誘う、もっというと引きずりこむには
語りの技量があれば足りるものではない。
言葉に込める情念の深さが大事なのだと
舞台そでで聞いていて実感しました。
「言霊=ことだま」という日本語が好きです。
口から世に放たれた言葉が、
魂を宿して相手の心に入りこんでいく。
言葉を生業とするものの端くれとして
そんな世界を信じていたいと思うからです。
人を恐がらせるのも、言霊の力である。
そう実感する体験でした。
さて、終了は夜9時過ぎ。
帰路はすっかり暗くなっていました。
いつもと違う、どうも変な感じがして
そうっと、うしろを振り返ってみました。
すると...
...ダメだ、全く恐くできない。
センスないです。