秋風の中にいた人
少年期から青年期、
秋風の中にいつも声が聞こえていた人の
訃報が届いた。
11月14日、86歳で逝去された、日比野弘さん。
早稲田大学ラグビー部監督、日本代表監督、
日本協会副会長、会長代行、名誉会長を歴任された、
ラグビー界の重鎮だ。
まったくもって個人的であるが、
私にとっては、その解説を通じて
ラグビーの魅力を伝え、誘ってくれた方である。
昔録画したVHS(!)を探したら出てきた、当時の日比野さん。
当時はこの顔を見るだけで「ああ、ラグビーを観ている」という歓びが増した。
風に秋を感じたら、ラグビー。
1970年代後半、小学生のころから
テレビ観戦の暦はそう決まっていた。
屈強な男たちが身体をぶつけ合い、
ストイックにボールを追い続ける選手たちの姿に
引き寄せられるように見ていたが
ドラマ「スクールウオーズ」の影響で
「荒くれものが根性むき出しでぶつかりあう」イメージもあり
ちょっと近寄りがたいところもあった。
そこに「知的で、気品のある風」を吹き込んでくれたのが
日比野さんの解説だった。
精神論、根性論ではなく、
選手の技術的な特徴やチームの戦略、戦術、
その背景にある組織作りの過程、
根底に流れる「哲学」などの奥行きのある話を
マイクによく乗る、厚みのある声で
的確に、簡潔に伝えてくれたことで
競技の深みやリスペクトをより強く湧き
心の距離が縮まった。
大学ラグビー人気が頂点に達していたタイミングで
東京の大学に行ったことも重なり
学生時代のラグビー観戦は
宝物のように楽しい思い出になった。
大学3年にときの体育の授業で
抽選になるほど人気のあった
日比野先生のラグビーを受講した。
早大ラグビー部の「聖地」東伏見のグラウンドで
当時のレギュラークラスのラグビー部員の方々が指導してくれて、
雨天時に日々野先生自身が日本のラグビー史を講義してくれる
実に贅沢な授業だった。
当時の副将(その年学生王者になったチームの)にパスを投げて
「ナイスパスです!」と言われながらキャッチしてもらったことは
その様子をニコニコしながら見つめる日比野さんの顔とともに
一生の思い出になっている。
こんな感じの穏やかな笑顔でした
精神性が高く、文化としての厚みのあるラグビーと
このような形で接点を持てたことは
「スポーツをしゃべって伝える」ことへの意欲、
何より、競技に携わる人への敬意へとつながった。
多感な時期に出会えて本当に幸運だったと今も思う。
11月23日、秩父宮ラグビー場で行われた
関東大学対抗戦、早稲田対慶應。
伝統の早慶戦を、久々にテレビ観戦した。
日比野さんの、あの包みこむような声の解説を思い出しながら。
大切なものを伝えてくださり、ありがとうございました。