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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

おかえり~新しい旅に寄せて

彼が、帰ってきた。

   

今月開幕したバスケットボール・Bリーグ。

レバンガ北海道はアウェーで2020-21シーズンに突入した。

コロナ禍という困難と向き合いながらの

クラブ創立10年目の、節目のシーズンの船出である。

   

彼の帰還は、13年ぶり。

レバンガの前に存在した、北海道のプロチーム

レラカムイ北海道の「初代」メンバーの一人である。

のちの経営難から当時のリーグから除名され

4シーズンでその姿を消したレラカムイだったが

アイヌ語の「風の神」をクラブ名通り

幾多の「風」を吹き込んだ。

そうした風の一迅(いちじん)が、彼だった。

   

ジャワッド・ウィリアムズ。

ジャワッド①.jpg

  

来日当時は24歳の若者。

名門・ノースカロライナ大学のキャプテンとして

2005年NCAAトーナメント優勝。

マイケル・ジョーダンと同じ経歴だ。

チームメイト5人がNBAドラフト1巡目指名される

スーパーチームだったが、自身は指名漏れ。

その後、NBA入りを目指す選手たちが集うワークアウトで、

田臥勇太とプレーする姿を見た当時のヘッドコーチ・

東野智弥氏(現・日本バスケットボール協会強化委員長)の目に留まり

日本でプレーすることになった。

   

経歴に違わず、プレーもスペシャルだった。

身体能力、技術、バスケットIQの高さ、

大学を出たばかりのルーキーとは思えないクールなたたずまい、

何より、どんなときも手を抜かない高いプロ意識を

常にコート上で放っていた。

   

当時、通訳兼アシスタントコーチを務めていた

清永貴彦・現レバンガGMが述懐してくれた。

「開幕前のプレシーズンゲーム前に体調を崩し

39度近い熱が出たことがあったんです。

『まだシーズン前だから休め』と勧めたんだけど

『いや、これも試合だ。試合に出るのが俺の仕事だ』と言って

いつも通り全力でプレーした。

試合後、迎えの車が来るまで

ロッカールームのベンチで横になって動けなかった姿を見て

改めて意識の高さに感心しましたね。

当時のチームでは最年少ぐらいだったけど、

背中で、プレーで、チームを引っ張ってました」

   

「これがバスケット大国・アメリカの大学トッププレーヤーか」

プレーだけでなく、立ち振る舞いも含め、特別な輝きを放っていた。

折茂武彦、桜井良太という日本代表選手の加入が大きな話題となっていたが

存在感という意味では、まぎれもなく別格だったという記憶がある。

そしてそんな選手の姿やプレーを身近に見られることは

「プロのバスケットボール」をリアルに実感できた経験となった。

彼が「世界のメジャースポーツとしてのバスケットボール」の窓となって

その向こうにある、とてつもない巨大なステージを垣間見せてくれた。

それぐらいのインパクトがあった。

   

TVhが初めてバスケットボールの生中継をし、

バスケ実況のスタートとなったのもこの年。

2008年2月10日、対アイシン(現・シーホース三河)戦。

レラカムイ時代①.jpg

同点の残り4秒を切ったラストプレーでブザービートを食らい惜敗したが

シーズンの王者となる強豪クラブに真っ向から挑んだ大熱戦。

そこでももちろん、彼のプレーはスペシャルだった。

レラカムイ時代②.jpg

隣にいる茶髪の若者は当時24歳の桜井良太選手です。若くて細い。    

鮮烈な印象を残し、しかし1シーズンで、彼はチームを去った。

新天地はNBA、クリーブランド・キャバリアーズ。

日本のリーグ経験者がNBAに「昇格」するのは

極めて異例だったが、

「やっぱり、そういうレベルの選手だったんだ」と納得できた。

   

キャバリアーズでは3シーズンプレー。

その後、イスラエル、トルコ、フランス、ギリシャ、イタリアと渡り歩き

2017年にBリーグ・アルバルク東京に加入。

2季連続のリーグチャンピオンメンバーとなる。

1年目のチャンピオンシップファイナルでは

今も語り草になっている

第2クオーター終了間際、センターライン付近からのブザービート3ポイント、

2年目はシーズン終盤に右アキレス腱を断裂、

アメリカでの手術を終えると即帰国し、

松葉杖姿でベンチ横に立ち、仲間を鼓舞した。

   

そんな姿を見るたび

「彼は、あのときのままだ」という思いと

「随分遠くに行ってしまったな」という気持ちが交錯していた。

  

昨季は宇都宮でのプレーを経て、

レバンガに加入。

入団時のコメントが印象的だった。

「Hokkaido has always been a very special place to me.

~私にとって、北海道は常に特別な場所でした。」

  

「私たちにとって、あなたは常に特別なプレーヤーでした」

と思っていた私には、とてもうれしい言葉だった。

   

清永GMは言う。

「本当に日本、北海道には

ずっといい印象を持っていたようです。

直前までNBL入りを目指しながら契約に至らず

悔しい気持ちでいるところで、日本からオファーがあり

そこからキャバリアーズにステップアップできた。

当時の代理人が、

『ありがとう、ニッポンのおかげだ』と言ったのを覚えています」

  

「今の奥さんには、札幌のテレビ塔の前でプロポーズしたんです。

手違いで指輪が配送所止まりになって

僕が運転して、市内の配送所を駆け回って探し出したのは

懐かしい思い出ですね。

アメリカにいる奥さんと四人の子どもを早く日本に呼び寄せて、

一緒に北海道の暮らしを味わいたいと言ってますよ」

  

彼にはもう一つの顔がある。

絵本作家だ。

フランスでプレーしていたとき

家族でパリ市内の各地を訪ねた時の経験を

長男、長女の視点から描いた絵本を去年出版。(「Nailah & Nash Take Paris」)

今年5月には東京での体験を描いた第2弾も出した。(「Nailah & Nash Take Tokyo」)

もともと子どもの教育支援活動に熱心で

「旅をして新しい文化を経験することが

最も素晴らしい教育の形だと信じている」

との思いを形にしたもので

絵本の収益は自身が設立したNPO団体の

運営費に充てられるという。

  

1勝1敗の開幕節2試合では

ともに20分以上プレー。

37歳となった今、エネルギーがあふれていた13年前とは

プレースタイルも変わったが

人生の年輪を感じさせる

渋くて、正確で、知的な動きは、また魅力的。

ジャワッド②.jpg

撮影:レバンガ北海道 

「特別な場所」北海道を舞台にした

第3弾の絵本が世に出るのも、そう遠くはないだろう。

彼の家族には、北海道の素敵な思い出を、

私たちには、バスケットボールの奥深さを味わう素敵な体験を。

ともに描く、新たなストーリーの始まりだ。

  

おかえり、ジェイ。

あなたの新しい旅の時間を、一緒に楽しませてください。

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