きょうという日だからこそ
2020年6月19日という日に
心に刻みたい言葉があります。
ある本のタイトルです。
「日本プロ野球 復活の日」
(鈴木昭 著 集英社 1987年第1刷)
副題の「昭和20年11月23日のプレイボール」の通り、
終戦後初めて行われた
プロ野球の試合までの道のりを描いたノンフィクションです。
大学生の頃に読んだ一冊を
最近書棚から取り出し、再び手に取りました。
目に見えぬウイルスの恐怖と対峙する
昨今の状況を
「人類が直面した新たな戦争」と表現する人もいます。
現状はまだ「戦後」ではなく、
「戦中」の混乱と不安のさなかではありますが、
そこで迎えるきょうという一日の意味は
この本のタイトルに重なるような気がしたのです。
プロ野球界のここまでの歩みは
「復活」でもありません。
開幕に向けて選手も、関係者も
歩みを止めることはなかったはずで
「止まった時間」があったわけではないので
「復活」は適切な表現ではないでしょう。
ただ、「そこにあるはずの日常がない」体験をしたことで
「復活」という言葉の重さも、じわりと胸に迫ります。
この本について、ちょっとだけ補足します。
プロ野球は1944年のシーズン後、戦争が激しさを増して中断し
1946年、8球団1リーグで再開するのですが、
実はその前年、1945年の11月から12月にかけ
「東西対抗戦」と銘打たれた試合が、
神宮球場を皮切りに4試合、開催されました。
玉音放送からわずか3か月後のことです。
GHQの統制下、野球どころではない、
一日を生きるだけで精一杯であるはずのときに
プロ野球の試合が行われたのです。
ともにプレーした仲間を失い、
自らも戦地で傷つきながらも、球場に立った選手たち、
そして彼らの姿を一目見ようと集った観衆。
全てを失ったはずの焦土で
もう一度野球ができる、野球を楽しめる喜びを
かみしめるまでの道のりが
ち密な取材と、洒脱な文章で描かれています。
現代を生きる私たちから見れば、
おとぎ話のようなエピソードも多く紹介されていますが
まぎれもなく、真実です。
人間にとってスポーツの持つ力とは
日本人にとって野球の持つ力とはを
しみじみと実感します。
3か月遅れで開幕する、2020年プロ野球。
この一冊を思い出せたことで
その日の意味をより深くとらえて迎えています。