虹の橋
言葉を生業とする人間でありながら
2019年も終わりに近づいた
先日、知った言葉です。
恥ずかしいと思うのと同時に
今まで知ることがなかったのが
幸せだったのだと感じました。
17年、家族を癒し、楽しませてくれた猫との別れが
今年を締めくくる出来事になりました。
以前このブログでも書いたりしていて
https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2014/07/post-72.html
まったく予期せぬことではありませんでしたが
いざその時が来ると
自分でも驚くような感情がたびたび湧きあがりました。
2002年秋。
名古屋で偶然出会い、家族の一員になった貴女。
来たばかりの頃は病弱で、動物病院の先生から
「この子はあまり長くは生きられないかも知れない」と言われ
呆然自失となりました。
その後、それが嘘のように元気になってくれて、
元気がすぎるほど元気になってくれて、
こちらの都合で、貴女の故郷の名古屋から
札幌に引っ越すことになりました。
荷物として飛行機に乗せられ、
新千歳空港の手荷物カウンターで再会したとき
か細い声で抗議をしていたのを見て
ほっとしたのと、申し訳なく思ったことが
この地での新生活のスタートでした。
それから貴女の意思とは関係なく、
人間、猫、犬と家族がどんどん増えていき
ときにあからさまにうっとうしがり、
ときに先住猫のプライドを態度に出し、
ちょっとだけ、おとうと、いもうとのことを気遣う仕草を見せながら
17年の歳月を一緒に過ごしてくれました。
最後はちょっとだけ弱ってしまったけど
貴女らしく
気が強くて、好き嫌いがはっきりして
そして、賢いままでお別れしました。
以前北海道新聞さんに取材してもらったときの思い出の一枚
右下、膝の上に座っているのが
今回「虹の橋」へ行った、我が家の長女です
「虹の橋」とは、
ペットとの別れと遭遇した人々の間で語り継がれている
作者不詳の散文詩です。
かいつまむと、こんな内容です。
天国の少し手前には
「虹の橋」と呼ばれている場所があって
生前、誰かと暮らしていた動物たちは、
命の灯が消えたとき、その橋のふもとへ行きます。
その場所は草原や丘が広がり、優しい日差しにあふれ
たくさんの動物たちが駆けまわり、じゃれあって
楽しく過ごしています。
病気だった子も、年老いた子も、傷の痛みに苦しんでいた子も
みんな元気になり、昔のように過ごしています。
そんな幸せに暮らす動物たちには
ひとつだけ、心を満たしていないことがあります。
かつてともに暮らし、寄り添っていた人が
そこにはいないのです。
皆で一緒に遊んで、駆けまわっていたある日、
ある子がふっと立ち止まり、遠くを見つめました。
するとその子の目はキラキラと輝き、喜びに震え、
仲間から離れ、草原を飛ぶように走っていきます。
速く、速く、まるで風のように。
その子の視線の先にいるは、あなたです。
虹の橋のふもとで、再び出会えたのです
あなたはその子を抱きしめると
顔をのぞきこみ、こう語りかけます。
きみと別れてからの長い人生を
一生懸命生きてきたよ。
その中で、きみを忘れたことはなかった
やっと会えたね。
そしてあなたたちは寄り添いあって、
共に天国へ続く虹の橋を渡っていくのです。
そうか、虹の橋で待ってくれているんだ。
猫のくせに、首輪にリードをつけて
家の周りを散歩するのが好きだった貴女。
そして夏の夕暮れ時
貴女を散歩させながら、缶ビールを飲むのが
至極の歓びだった私。
ビールを飲みながらの撮影でしたので
かなりぶれてますが
こんな感じの散歩でした
いつかまた
虹の橋のたもとで
またおいしいビールと散歩の時間を
一緒に過ごさせてね。
今までほんとうに、ありがとう。