追悼
名古屋での前職時代一緒に仕事をさせていただいた
サッカー元日本代表GK・田口光久さんが
今月12日、64歳で亡くなられました。
秋田商業から現在のJ1浦和の前身・三菱重工に入り、
1975年、20歳と206日の若さで日本代表デビュー。
これは今年9月に破られるまで、約44年、GKの史上最年少出場記録。
通算で国際Aマッチ59試合に出場しました。
主将も務めたこともあり、
まだ世界が遠い彼方にあるころの日本代表を支えました。
「ひよっこアナ」時代に初めてお会いしたきは
某バラエティ番組の
「PK対決のメーランおやじ」としてすでに有名人。
まだサッカー人気が今ほどではなかったJリーグ初期の頃、
身体を張って日本中のお茶の間に
サッカーの魅力を伝えてくれる存在でした。
Jリーグの試合の初実況の解説もしていただきました。
「プロのサッカー」を初めてしゃべる重みを感じながら座った放送席で
心地よく、それ以上の重圧をかけ続けてくださいました。
高校サッカーでも解説をしていただいたことがあるのですが
要所での目のつけどころが的確で
実況者に多くの気づきを与えてくれました。
グランパスのキャンプ取材で
熊本や和歌山にも一緒に行きました。
2002年のワールドカップ日韓大会では
定位的に田口さんから試合の寸評を電話でうかがって記事にし
会社のホームページに掲載する仕事を担当しました。
大会が終わり、最後の電話取材の際、
「大藤くんの、大会のベストマッチはどれだ?」
と質問されました。
「試されてるな」と瞬間的に思ったので、
素直に、自分の見解を口にしました。
「準々決勝の、セネガル対トルコです」
「なんで日本戦じゃないんだよ!」と突っ込まれるかと思いきや
「渋いな~、いいとこ突いてるじゃない。確かにいい試合だったね」
と返されて、とてもうれしかったのを覚えてます。
北海道に来てからは
高校の指導をされていることは耳にしていましたが
時折解説の記事を目にする程度で
「連絡無精」のままになってしまった中で聞いた訃報。
思い出の中にいる人の訃報はいつも辛いです。
田口さん、たくさんの学びをありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。