拝啓 十三の君へ
先日、札幌市内の中学校で、
1年生を対象にした
「職業調べ・インタビュー活動」という取り組みに
参加させていただきました。
様々な職業に従事している方が
自分の仕事の概要について話したあと
中学生たちが事前に考えてきた質問に答えていく
というものです。
3年生まで段階的に続く
総合的な学習の時間のうちの
キャリア教育の一環。
中学生たちが「職業」というものに触れ、
自分の進路、人生設計について考える上での
「窓口」となる体験をする機会です。
話をいただいたとき、
「こんなに早い時期に、こんなに具体的に
"仕事"というものに触れ、体感する機会があるなんて
今どきの中学生はいいなあ」
と素直に羨ましく思いました。
40年近く前の茨城の田舎の中学校では、
そんな取組は全くありません。
もしあったとしても、記憶には全く残っていません。
無論それは、
当時の日本の教育、さらには社会そのものが
そういう活動をする段階に至っていなかったのであって
誰を恨むような話でもありません。
当時より遙かに社会が成熟し、
キャリア教育の重要性が
認識されている証です。
当日までに、どんな話をしようか
あれこれ考えました。
そのときに頭の中にずっとあったのは
「"あの頃の自分"がそこにいたら
彼に向かって、今の自分は何を語るだろう」
という妄想でした。
縁あってというか、何の因果というか、
紆余曲折ありながら
この仕事に長らく携わってきた今の自分は
「何者でもない」13歳当時の自分に
この仕事について、何を言えばいいのだろう。
そんなことを考えていました。
頭の中に、ある曲が流れていました。
「手紙~拝啓 十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)
最近の音楽には全く疎い私ですが
耳にするたび、心に染みます。
(2009年の曲なので最近ではないのでしょうが、
私には十分「最近」です)
♬自分とは何でどこに向かうべきか
問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の船よ進め♬
というくだりが、特に印象に残っています。
大切なのは、「問い続ける」こと。
自分が何で、どこに向かうのかなんて
簡単にわかるわけなく
何度も何度も自問自答して
最後まで確信は持てないけれど
きっと、こうなんじゃないかと思いながら
一歩一歩進んでいくものなのではないかと思います。
少なくとも、あの頃の自分はそうでした。
あの頃の自分に
「アナウンサーって、面白そうだな」
「アナウンサーって、自分の人生をかけるに値する仕事だな」
そう思ってもらえる言葉を投げかけたい、
と思いました。
...と、偉そうにあれこれ書きましたが
実際に教室に立ってみると、
いつもと同じように
ちょっとでも面白がらせようと
余談のほうにエネルギーを注いでしまったような気がします。
「インタビュー活動」と銘打つだけあって
その後、なかなか鋭い質問が
中学生たちから飛んできましたが、それはそれで、
「生身の人間同士が、自分の言葉でやりとりする」という
この仕事の本質に触れる機会に
なったのではないかと思いました。
いやいや、上から目線で書きましたけど
いい機会になったのはこっちのほうです。
中学生なりの
「仕事というものへのリアリティ」を求める姿勢は
結構な「圧」となって伝わりました。
それに対してどんな言葉で返すのかは、
私にとっての学びでもありました。
彼ら、彼女らに面識があるわけではありませんが
制服を着て、教室にいるその姿と対峙するだけで
「十三の君」に出会っているような気になりました。
給食後の午後の授業だったので、
迫りくる睡魔と懸命に格闘し
白目をむいたり、船を漕いでいる君にも
「十三の自分」の姿が重なりました。
(それは、あなたの話が面白くなかったんです!
という突っ込みが聞こえてきそうなことも含めて)
そんな風景も全て含めて、思います。
君たちにはまだ、無限の可能性があります。
♬自分とは何でどこに向かうべきか
問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の船よ進め♬
そして、
♬人生の全てに意味があるから
恐れずにあなたの夢を育てて♬
拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せなことを 祈ります
あっ、これにも♬をつけなきゃいけなかった。