1時間の小さな冒険
北海道らしからぬ暑さに包まれた
先日のこと。
北海道の公立学校事務職員の方々が集まる
研究大会の冒頭で、
講演をさせていただきました。
約1年前、唐突にいただいた手紙がきっかけでした。
依頼されたテーマは
「大藤晋司が大藤晋司を生実況してください」とのこと。
???
何度か講演というものはしたことがありますが
初めて求められたテーマです。
「ご自身の人生の分岐点になったことを
当時の心の動きをリアルに再現しながら話してください」
という意味だと説明されて、理解はできましたが、
同時に、そんなことが、
学校事務の充実を目指して開催される研究大会の
お役に立てるのかと不安に思いつつ、
折をみて打合せを行いながら
準備を進めてきました。
この手の話は、
ともすれば居酒屋でよくみかける
自己満足の「自分語り」に陥りがちなので、
特に注意が必要だと自分に言い聞かせました。
自分のことを、より客観的にとらえながら語る。
これは、なかなかの冒険でした。
自分自身が感じたことに正直に、
当時の臨場感も大事にしながら、
しかしそれを「不特定多数の他人」に対して語る。
心の距離感、言葉の距離感、
そして当時の自分のほんとうの気持ちを
改めて探っていく。
いろいろなことを考えました。
集まってくださった皆さんに何かを伝えるのが
目的なのですが、
自分の内面とこれまでにない向き合い方をする
機会となりました。
当日、壇上で
「果たしてこんな自分語りに
興味を持ってくれるのだろうか」
という不安が改めてよぎり、
ゾクッとなりました。
こういうときの常とう手段。
会場を見渡しながら、
ちょっとでもリアクションのいい人をとにかく見つける。
一度でも頷いてくれたり、
軽く笑いをとりにいって、
わずかに口角が上がってくれたら、
その方は「救い主」です。
「この人にだけはわかってもらおう」
そう思えるだけで、ふっと肩の荷が下りるのです。
もちろん、その人の本当の気持ちは知りません。
なんとなく愛想で頷いてしまったのかも。
笑うつもりもなかったが、偶然口元が緩んだのかも。
それでもいいんです。
「To them」が「To you」になるだけで、
心の重荷は、断然違います。
およそ1時間の、小さな冒険を終え、
会場を後にしたときの
「ああ、日常に還ってきた」という安堵感は
いつもよりちょっと大きかったような気がします。
ご清聴いただいた皆様、
そしてなにより、
あのとき救いの手を伸ばしてくれた
ナイスなリアクションをしていただいた「あなた」、
本当にありがとうございました。