いつも見ていた空
世間のカレンダーとは無縁の生活を続けて
25年あまり。
「お盆休み」という言葉は
ニュースの原稿の中で読むことはあっても
実際に体験した記憶はほぼなかったが、
先日、滞在時間は24時間に満たない
弾丸ツアーのような形で
束の間の帰省をした。
乗り換えのため、
高校3年間を過ごした
水戸に途中下車。
30年以上前とは
当然のことながら風景は大きく変わり、
「懐かしい」という感慨より
「こんなになっちゃったの」
という驚きの感情の中で佇んでいると、
「オシャシン、トリマショウカ?」
カタカナで書くのは申し訳ないくらい
クリアな日本語で、
水戸在住(と思われる)YOUに声をかけられ
言われるがまま、撮影してもらった。
彼はきっと、この街で
充実した毎日を過ごしている。
祈りにも似た想像をしながら
フレームに収まった。
高校時代は姿も形もなかった
今では水戸駅名物の、水戸黄門像。
これ以上ない、滞在の証拠写真だ。
故郷に向かう
各駅停車に乗り換えると、
発車直後に目に入ったのは、
これは、昔のままの風景。
母校の校庭へとつながる、坂道。
よせばいいのに
実力もないくせに陸上部に入り2年と数か月、
(弱かったので引退も早く、こんな中途半端な在籍期間)
数えきれないくらいの回数、
この坂をダッシュした。
「心臓が破れるんじゃないか」
「足に鉛が巻きついているんじゃないか」
何度もそう思いながら走った坂は、
こうして見ると、
何と言うことのない、普通の坂だった。
この日はあいにくの曇天。
でも、雲に覆われたこの空も
青空いっぱいだったときの空も、
いつも見ていた空には、違いない。
自分が何者なのか
これから何者になっていくのか、
さっぱり先がわからず、
ただひたすら毎日の生活を
しがみつくように過ごしていた
青臭い若造が
いつも見ていた空に、違いない。
そんな若造が、
この空を見上げた数日後には、
五十路に突入。
残酷なまでに時間は止まらず過ぎていくが、
いつも見ていた空は、
やっぱり変わらないんだなあ。