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番組表番組表

まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

心の旅

♬あぁ~だから今夜だけは
君と飲んでいたい
あぁ~明日の今頃は
ぼくは札幌の家......

これから過ごす時間への期待を込めて
学生時代よくカラオケでやった
「即興替え歌」を胸に浮かべながら,
地下鉄に潜り込む前に
夕暮れの街を画像に収める。

100m道路.jpg

若宮大通。通称、100メートル道路。
ここは、名古屋。
12年を過ごした街への
「100%、プライベートの旅」は
北海道に住んで15年目で、実は初めて。

目的は、ある宴会に出席すること。

約7年携わったボクシング中継でお世話になった
「緑ボクシングジム」で、
第1回のOB会が開催されることになり、
なんとそこに、お誘いの声がかかった。
どうみても「OB」にあてはまらないと思うのだが、
「中継を通じて、あれだけ深くボクシングと、
うちの興業に関わって、
何度もジムに足を運んでもらったので、
OBみたいな存在だと私たちは思ってます。
北海道からお越しになるのが大変なのは承知の上ですが、
お誘いさせていただきました」
ひと月ほど前、唐突にもらった電話に「ワンパンチKO」され、
「行かない訳にはいかないでしょ!」と即答。
以来、じわじわ楽しみを温め続け、満を持しての訪名だ。

12年住んだ街だから
簡単に目的の店にたどり着けると高をくくっていたが、
その後の15年の時の流れは容赦ない。
地下鉄の入口を見つけられず、地上に出てからも道に迷いつつ、
ようやく会場に到着。

緑ジムが生んだ2人の世界チャンピオン。
飯田覚士さん(右=元WBAスーパーフライ級王者)、
戸高秀樹さん(左=元WBAスーパーフライ級、バンタム級暫定王者)
も参加。
飯田&戸高.jpg

お二人とも引退後は東京でジム経営するなど活動中

彼らのすぐそばでボクシングを学び、
世界戦のしびれる緊張感の中で生放送をし、
勝利の歓喜、敗戦の悲哀、
何より、古来より人の心を揺さぶってやまない、
極めて人間的なスポーツ・ボクシングの真髄に触れた経験は、
何物にも代えがたい財産だと、心の底から思う。

飯田インタビュー.jpg

00017.jpg

飯田さんは引退後解説者としてジムの後輩である戸高さんの世界戦の解説も担当、
現在も理論的な解説で好評です。

戸高世界戦①.jpg

その試合で鮮やかなKO勝ちをおさめた戸高さん。
当時は放送席から見上げた、
今なお一生忘れられない感動の瞬間を...
17年ぶりに再現!

戸高と2ショット.jpg

プロボクシングの試合は、
選手の実力を示すライセンスに応じて、ラウンド数が設定される。
デビュー戦は4ラウンド(新人を「4回戦ボーイ」などのいう語源)で、
以降、6回戦→8回戦→10回戦→12回戦へと"昇格"していくのだが、
ボクシング実況の修行もボクサーと同じ同じように
まず4ラウンドの「前座試合」担当から"昇格"を目指して進む。
始めは、解説なんてつかない、最初から最後まで、ひとりしゃべり。
逃げ場のない条件の中で、
パンチやフットワークを丹念に追いながら力をつけ、
より長いラウンドの試合→セミファイナル→メインイベント担当
→タイトルマッチの実況へとステップを上がる。
ただ、力及ばず、道半ばで終わることもある。
そこも、リングで戦うボクサーと同じだ。

4回戦の実況を始めたころは、
「俺はいったいどこまでいけるのか」
期待と不安が交錯する日々。
だからつい、対象の選手に、自分の未来を投影してしまう。
「君のボクサーとしての成長とともに
僕も、実況アナとして階段を上がりたい」
そんな気持ちがこもるので、
猛烈に思い入れて、取材や実況をしていた。
勝ち試合をしゃべれば、自分が勝ったような高揚感に浸り、
負け試合のときは、我が人生の蹉跌のように落ち込んだ。

そんな思い入れをとともに過ごした、
当時の選手とも再会できた。
今はもちろん現役を引退している彼は、
穏やかな表情で言う。
「当時大藤さんに実況してもらった試合の
ビデオテープ(古い!)は
今も大事に持っています。
自分が、ボクシングをやっていたことの証になる
宝物ですから」
心にしみる言葉。
これだけで、名古屋に行った甲斐がある。

2人の世界王者を輩出し、
70歳になる今も、選手育成への情熱は全く衰えていない
松尾敏郎会長はじめ、
会長と2ショット.jpg

荒削りで青臭い若造に、ボクシングを学ぶ機会と、
人間的に成長する時間を与えてくれた
多くの関係者の方にお会いできた、夢のような夜は
あっという間に過ぎた。

ボクシングと関わったあの7年あまりの時間は
とても大切な思い出だけど、
だからこそ、
心の奥に閉じ込めて、ほこりをかぶせてしまうのではなく、
今の自分に活かすためのエネルギーに
積極的に使っていこう。
そんな気持ちを抱いて、宴をあとにした。

束の間の「心の旅」を終え、
穏やかで暖かだった名古屋を離れて
北海道に戻ると、
こちらも、長い冬の終わりを感じさせる陽気。
日常に戻るときに口ずさんでいたのは
「心の旅」と同じ、
チューリップの「サボテンの花」の一節。

♫この長い冬が終わるまでに
何かをみつけて生きよう
何かを信じて生きてゆこう
この冬が終わるまで...

...選曲といい、内容といい、
「わかる人にしかわからない」もので
申し訳ありません。
今回は完全に個人的な趣味に走りました。
ご容赦ください。