センチメンタル・ジャーニー
その旅は、慌ただしく決まった。
行くことになるかどうか、直前までわからない。
条件付きの旅。
向かう先は、広島。
日本シリーズで
「広島でファイターズの日本一の可能性が
生じたとき」に限り発生する出張は
2連敗からの本拠地・札幌ドームでの3連勝により実現。
試合終了直後から慌ただしく
第6戦めがけての、行程を作り始める。
すでに、広島行の飛行機は満席。
今後も状況が変わることはほぼない。
広島にこだわらず探して見つけたのは、
中部国際空港行の便。
陸路を併用する旅が始まった。
空港到着後
「大藤さんもこの便で広島ですか」
と道内(と思われる)ファイターズファンから声をかけられる。
「私たちも王手をかけたときから
なんとしても広島に行こうとあれこれ調べたら
この行き方になったんですよ」
とにかく広島に行けるという達成感にあふれた表情と
弾んだ声。
「これこそ、ポストシーズンの醍醐味」に出会えた気がした。
名古屋は、雨。
しっとり濡れそぼった
名古屋駅の新幹線ホームに立つと、
なんともいえない感情が湧いてきた。
12年住んだ街の玄関であり、
かつて、何度も立ったこの場所。
社会人としての営みとほぼ重なる
期待と不安、希望と失望、
どちらも胸に抱きつつ、
ときに東に、ときに西に向かった場所。
13年前、北海道に移る際は飛行機で、
名古屋空港からの旅立ちだったので、
この場所に「最後に立った」記憶は曖昧で、
それが少しだけ、心残りだった。
何かを取り返したような気がした。
新大阪、新神戸、岡山。
久々に乗った西行きの新幹線は進む。
様々な仕事で利用し、
慣れていたはずの乗り心地、
記憶に残っていたはずの車窓からの風景を、
甘酸っぱさを伴った感情とともに受け止める。
「いい大人なのにな...」とつぶやく自分がそこにいる。
広島駅に到着。
約15年ぶりの広島。
駅も、駅前も、すっかり変わっていたが、
カープへの愛はゆるぎなし。
形は年代によって変わっても、
過去に何度も見て、感じて、
今回一番楽しみにしていた
光景と空気。
期待どおりに出会うことができて
ちょっと愛おしく思えた。
この空気を初めて味わった、
24年前の写真が見つかった。
前回のカープのリーグ優勝の翌年、
広島―中日戦の取材で訪ねた
人生初の広島。
背景に映っているのは
もちろん、旧市民球場。
身体いっぱいにプロ野球を吸い込んでいた
当時の記憶が思い出される。
もちろん、恥ずかしさとともに。
決戦の地、マツダスタジアムへ。
初めて向かう道程。
その途中で見かけるものもまた、楽しみの一つ。
ファイターズファンをねぎらう看板や、
カープ坊やと紅葉が描かれた
マンホールのふたも
プロ野球が、カープが溶け込んだ街・広島らしくて
心地よくなる。
初めて訪れたマツダスタジアムは
噂通りの「ボールパーク」。
日が落ちてからは吹く風に冷たさも感じたが
それもまた、屋外球場ならではの体験として
楽しさとして受け止めさせてもらった。
試合のほうは、ご存じの通り。
8回表、一気の6得点で
ファイターズが日本一。
球場全体を包んだ「赤の熱気」が、
「1年間ありがとう」の空気に変わっていく
少し切ない感覚と、
それ以上に、
北海道のプロ野球チームが
10年ぶりに頂点に立った瞬間を
現場で見届けられた幸運と、
その後の祝勝会インタビューで
もう体験することはないと思っていた
「身体からアルコールを吸う」体験が
4年ぶりにできた幸運を
存分にかみしめた夜となった。
もう「早朝」と呼んだほうがいい時間に
ホテルに戻り、
一人だけの、ささやかな祝宴を
この一夜に敬意を表し、
「カープチューハイ」と
「カープハイボール」で挙げさせてもらった。
復路は、神戸空港から新千歳へ。
澄み切った空の下の神戸の街に、
大学生のときに訪れたときの胸躍る感情と
社会人4年目の冬、
震災中継で訪れたときの胸締めつけられる感情が
入り混じって迫るのを感じた。
陸路の移動があったからこそこみ上げた
様々な感情を刻み込んだ旅。
新千歳でかくの言葉で迎えられ
改めて感じた。
もう二度と味わうことはできないだろう
この機会を作ってくれた
あらゆる"見えざる力"に、
心より、感謝。