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まだ、しゃべるんですかぁ〜!?

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

大藤 晋司 アナウンサー

出身地
茨城県高萩市
入社
2003年4月

導かれし者たちへ

その日、そしてその日を待つ若者たちを表する常套句は
「運命の」。
選択肢は12あるのに、
どこになるかは自分では決められない。
無限の未来を切り開く第一歩にして、
自分の力では切り開くことが許されないもの。
ただ、当事者ではない
(無責任な、という意味も含む)立場の人たちからすると
並外れた能力を持つ人の
「次の働き場所はどこなのか」は
空想を大いにめぐらす楽しみを与えてくれるものでもある。
プロ野球、新人選手選択会議。通称ドラフト会議。
そこにつける修飾語には
「運命の」という言葉が、確かに最もあてはまる。

 10月20日に行われる今年のドラフトを前に、
指名が有力視される
2人の道内のアマチュア選手を取材する機会を得た。

ひとりは、江陵高(幕別町)・古谷優人投手。
古谷1ショット.jpg

身長176センチ、体重は入学時から20キロ増えて76㌔のサウスポー。
7月の北北海道大会で
今年の高校生左腕では全国最速タイの154㌔をマーク。
しかし本人に聞くと
「スライダーを生かすためのストレート」であって
「自分のウィニングショットはあくまでスライダー」という。
北北海道大会準々決勝・釧路工戦で
大会記録を更新する1試合20奪三振を記録した時も
ストレートで奪ったのはわずかに1。
実に19個を、自在に操るタテ、ヨコ2種類のスライダーで奪った。
準決勝で敗れ、甲子園にはあと一歩届かなかったが、
その怪腕ぶりは全球団のスカウトをうならせた。

古谷投球.jpg

父・輝紀さんは、ばんえい競馬の元騎手。
「プロ野球は結果がすべての不安定な世界でもあるけど
お父さんとかはその辺の不安は口にしなかった?」と聞くと
「ないですね。勝負師ですから」とニヤリと笑う。
勝負師の血を継いでいる男の面構えもいい。

中学時代は十勝の別の野球強豪校への進学を考えていたが
「強い学校から上に行くのではなく
強い学校を倒して上に行きたい」という負けん気の強さと、
「熱い人柄に惚れた」という谷本献悟監督の指導を受けたいと
江陵高校に進んだ古谷投手。
古谷・谷本2ショット.jpg

インタビュー中にも何度も
「監督さんを男にしたい」という言葉を耳にした。
それを聞いた谷本監督は、
「そういう師弟関係を築けたことは
私にとってももちろん財産ですが、
プロを目指す彼にとってもとても大きなことだったと感じます。
相手の心と真剣に向き合うことを学んだことは、
プロの世界で生きる上で、きっと役に立つと思うんです」と話す。

古谷投手が使うグラブの内側には
江陵高の部訓である「球道即人道」という言葉が
刺繍してある。
球道即人道②.jpg球道即人道.jpg

80年代から90年代、高校球界で圧倒的な強さを誇った
PL学園高の当時の監督、中村順司さんの座右の銘だ。
札幌出身の谷本監督は、
PL学園中学で3年間を過ごし、
当時の「PL野球の真髄」を身体に叩き込み、
それは今、古谷投手という逸材となって一つの実りとなった。
12球団すべてから調査書が届き
上位指名が予想される「北の怪物」。
その行く先や、如何に。

もう一人は、東海大北海道キャンパスの
水野滉也投手(22)。
水野紹介.jpg

今年6月の全日本大学選手権、
2試合連続完投勝利で8強入り。
うち1勝は関西学生リーグの覇者・立命館大から
16の三振を奪っての完封勝利。
大会後「侍ジャパン」大学日本代表に初選出され
7月の日米大学野球優勝に貢献。
水野試合投球.jpg

最速147㌔のストレートと、スライダー、フォークなどの変化球が
低めに集まる安定感のある投球が持ち味の右サイドスロー。
プロにはあまりいないタイプで、
先発、救援どちらでも需要が高いと言われている。
「高校1年の終わりに右ひじを痛めて、
登板機会が減ってきた中で、
痛くない投げ方を探ってサイドにした。
最初は遊び半分のところもあったんですが、
自分は『オーバースローが投手の王道』といった
変なプライドはなかったので、
投げられる投げ方でいこうと考えて、そのままサイドにしました。
今となってはあのときの選択があったから
こうしてプロを考えられる選手になれたと思っています」
人間万事塞翁が馬、である。

水野投球.jpg

小2から野球を始め、札幌日大高から東海大北海道に進学。
「大学進学に関して、道外は全く選択肢にはありませんでした。
高3の南北海道大会は決勝で負けて甲子園に行けず、
道外でやるのは厳しいと思った。
地元に残って、ここから上を目指していこう、という気持ちで
4年間を過ごしてきました」
という水野投手は、こんなエピソードを明かしてくれた。
水野1ショット.jpg

「僕、小学校時代、親の転勤で
道内ばかりですけど2回学校が変わったんです。
その度に、野球でみんなとすぐに仲良くなった。
野球は、仲間たちと自分をつないでくれる
大切なものだなって感じた経験でした」
その大切な野球を、職業にしていく意志を固めた
小、中、高、そして大学と
「オール北海道アマチュア」で育まれた右腕。
その行く先は、如何に。

ドラフトは確かに、自分で球団を選べない。
ときにそれを「理不尽」という人もいる。
(かつて「職業選択の自由を奪う、憲法違反のシロモノだ」
と言い放った人もいた)
ただ、長らくプロ野球の取材をしていて感じるのは、
この世界で活躍している選手はすべからく、
この、理不尽な側面も持つ「運命的な出来事」を
「導かれたもの」ととらえて生きているように思える。
つならない雑音に左右されず、
心に波風を立てず、
そのときそのとき、できることをやりきる。
そして、その積み重ねができる。
きっとそれは、今の自分がいる場所と時間が
「導かれたもの」ととらえられるからだと思う。

取材すると、やはり、情が移る。
彼らの野球人生が、いや、「野球」を外して
人生に幸多きものとなるよう、
10月20日、野球の神様の「導き」を
見守りたい。