目標への階段
誰しも似たような経験はあるようだが、
子どものころはけっこうな空想癖があったようである。
「雲の上におもちゃ工場があって
子どもたちの欲しいおもちゃをいつも作っている。
クリスマスになると、
サンタがその工場に来て、おもちゃをそりに積み込んで
世界中の子どもたちに配りに行くんだ」
という話をしばしば熱弁し、
工場の様子や働いている人たちの姿など
ディテールについてもあれこれ語っていたそうだ。
こうした幼き頃の空想はもちろん
「こうだったら楽しいな、うれしいな」という感情を満たす世界を
頭の中で形にしているだけで、
自分が生きている世界で実際に実現されるかは問わない。
それが少しづつ、
世の中に関する情報とか、
自分という人間の知る機会などを得て、
より実現の可能性のあるものへと変わっていく。
そしてその可能性の境界線(グレーゾーンを含む)、
「まあまあ、この辺なら叶いそうだ」とか
「さすがにここら辺は叶えるのは難しいかな」には個人差があり、
この境界線の位置が、実際の行動の基準になる。
空想が希望へ、そして目標へ変わる過程を
大まかにいうと、そんな感じかと思う。
では、こうした発言は
今の北海道では、空想か、希望か、目標か。
「バスケットのプロチームの運営だけでなく
シニアやジュニアなど
地域の幅広い年代の人たちを対象にした
健康増進、健康寿命に貢献する事業を行う」
「エンターティメント性のある、
『人が集まるソフト』の一つとして
バスケットボールのゲームが開催される」
発したのは、この方。
この秋から新たに始まる
プロバスケットボールの新リーグ
「Bリーグ」のチェアマン・大河正明氏。
京大卒業後、銀行マンとなり、
川淵三郎キャプテン(当時)に請われJリーグに転じ
クラブライセンス制度を確立するなどに尽力。
その後Jリーグ、日本サッカー協会理事などを歴任。
世間を騒がせた日本バスケットの混乱の収束に向け
川淵氏がトップに就任した流れの中で
バスケ界に転じ、
「歴史的転換点」のかじ取り役を務めている。
新リーグ1部に参入することが決まっている
レバンガ北海道の試合の視察などのため
5月1日に北海道入りし、
2日には札幌市役所を表敬訪問した。
上記の発言は、その際に発したものである。
今はおそらく、
「空想」ととらえる人のほうが多いかも知れない。
ただ、20年ちょっと前、
Jリーグ誕生前も、そんな感じだった記憶がある。
それが希望となり、目標となっていく過程を
空気として知っている者としては、
きっとこの発言も
空想のままでとどまらないだろう。
階段は、一歩一歩登ることになる。
何段あるのかわからない階段なので、
「一段飛ばし」ではとても身が持たない。
一歩一歩、地道に、
でも時間との闘いも、間違いなくあるだろうから、
あまり休み休み登ることも許されない。
足腰の強さが問われるだろう。
その足腰は、全国で約63万人、
北海道は全国トップクラス、約3万1千人の競技人口、
それを支える、家族や関係者、
そして「新たな価値を創造する」ことに集う人の、
熱意の総体ということになる。
試合が終わった後、選手たちがコートを1周し、
集まった観客とハイタッチする。
レバンガの試合では勝敗に関わらず
毎回行われるお馴染みの風景なのだが、
大河チェアマンによると、
これは全国的にはとても珍しいことなのだとか。
選手と観客の距離の近さ
バスケットという競技の性質上の、物理的な近さと、
プロチームの選手とファンという、精神的なつながりの近さという
両方の意味で
北海道の可能性を示す話である。
前身のチームも含め、9年の歳月を経て
(その間の様々な紆余曲折も合わせ)
積み上げてきたものの総体が、
このシーンにある。
その中には
難病と闘う力を得るため
この日1日だけの選手契約が実現した
佐藤竜弥選手(左)や
(詳しくは→https://www.tv-hokkaido.co.jp/announcer/daito/2016/04/post-128.html)
熊本地震で被災した家族を札幌に呼び寄せて試合に臨んだ
青島選手(中央・息子さんを抱いている)もいた。
ホーム最終戦でも見られた
北海道のバスケット界が手にした
財産ともいうべき光景を経て、
チームは来週末、初のプレーオフ、
そして秋からは、新リーグという
次のへ上がるための階段を登る。
後ろで支える人がひとりでも多いほど、
その歩みは、力強さを保てることだろう。
この日集まった、過去最高の観衆・5561人のうち
一人分でも多くの手が、
背中を支え、押す力になることを
ひとまずは「空想」させてもらおう。