シンデレラ
運動会の振り替え休日。
それは自動的に、平日を利用した「子ども孝行」の日を意味する。
まして今年は6月1日=「映画の日」。
選択肢は他にはなかった。
「何を観たいの?」「シンデレラ!」
有無を言わさず、少女たちが集う、映画館へ。
世界中の誰もが知っていると言っていいほど
普遍的な物語・シンデレラは、実は昔から苦手である。
何が苦手って、継母がエラをいじめる。
人が人をいじめる。その時の姿、発する言葉は
最も嫌悪するものだ。
ドラマだろうがなんだろうが、その場面自体が嫌いだ。
今までも、これからも、
触れることなく人生を終えたいと切望している。
それなのに、
「これから彼女はいじめられる」シーンを待つのは
苦痛極まりない。
「そこは飛ばしてくれ!早く!」と身悶えしながら、
少女たちに混じって観る自分を客観視すると、
かなり情けなかった...。
それでもみんなが知っているハッピーエンドで終わり、
まずは何より。
後日読んだ、
ケネス・ブラナー監督が
パンフレットの中で語っていたシンデレラ観は
なかなか面白かった。
「シンデレラは、究極の負け犬物語だと思う。
諦めたり、ひねくれたりする代わりに、
それに対処する別の方法がある。
それを教えてくれるのがシンデレラの物語だと思う」
(以上抜粋)
究極の負け犬物語―。
過酷な環境に置かれても、
卑屈になったり、哀れな悲劇なヒロインになることに逃げこまず、
問題の解決に前向きであり続ける。
言うは易し、行うは難し。
ゆえに、長い間、世界中の人に親しまれる物語なのだろう。
スポーツ中継で
無名の選手が実績のある「王者」を倒す様を
「シンデレラボーイ」と表することがある。
「一夜にして立場が変わった」という
意味で使われることが多いのだが、
その現象だけで「シンデレラ」と例えるのは
踏み込みが甘いような気がする。
彼が背負ってきたものをしっかり取材した上で
「過酷な環境に前向きに向き合い、チャンスをつかんだ」
というストーリーを認識した上で
使うべき言葉と考えたほうがよさそうだ。
華やかなディズニー映画を観ても、
頭に浮かぶのは、やっぱりこういうことなのであった。
何でもかんでも仕事に結びつけるのも
いかがなものか...