時の流れをうらむじゃないぞ
時の流れをうらむじゃないぞ―
吉田拓郎の唄にあった一節。
そう、うらむわけじゃない。
便利になることを否定するわけじゃない。
でも、便利が全てじゃなくてもいいじゃん。
振り返ることは、退行じゃない。
温故知新の言葉もあるさ。
捨てられない天邪鬼の性分を自覚しつつ足を運んだのは
札幌・宮の森の、とある写真館。
そこは、1936年(昭和11年)創業の老舗。
デジタルを使わず、
昔ながらの銀塩、つまりフィルム写真のみを扱ってきた。
北海道神宮にほど近いこともあり、
お宮参り、七五三、入学・卒業祝い、成人式、結婚式...
人生の様々な節目を一枚の写真に残そうと
多くの人が利用してきたが、
今年4月いっぱいで、その歴史に幕を閉じる。
創業者である父の代から続いてきたフィルム写真が
急速に進むデジタル写真の前に、
世の中から押し出されていくことを実感したのが、
閉店の最大の理由だ。
「今は、写真館に来なくたって、写真はできますからね」
特別、感情の抑揚を作らず、世間話の口調で、
店主の青木泰(やすし)さんは、
決断に至るまでの心の動きを語ってくれた。
「去年の冬だったかな。
ひどく吹雪いていて、前も見えづらいような厳しい天気の日。
夜7時30分を過ぎた頃に用事があってスーパーに行ったら、
店頭の証明写真の自動撮影機の前に
女の人が2人並んで待っているのを見たんだ。
吹雪いている日の、夜だよ。
確かに僕の店はその時間は閉まってたけど、
他の店で、開いているところはまだあるし、
寒い思いしないで、そこで撮ればいいじゃない、
とも思ったのと同時に
『ああ、俺たち写真館は、もう必要なくなっちゃったんだな』
って感じたなあ。
そこで待っている人たちの頭の中には
『写真館で撮ってもらう』っていう選択肢はなかったんだよね。
潮時だな、って思った瞬間だった」
撮影の合間の雑談のときのような、
朗らかで、柔らかな口調。
撮り直しのきかないアナログ写真特有の
写される側に強いるちょっとした負担を軽減させるための
技術として身に染みこませたのであろう。
そんな話し方で青木さんは
こんなエピソードも話してくれた。
「昔はさ、就職試験の時期に
『○○で撮った写真を履歴書に貼ると、
試験によく通るらしい』なんて噂が広がって、
験を担ぐ学生さんたちで店が賑わった、なんてこともあった。
自分の人生を決めるかも知れない試験なんだから
担げる験がなんであろうと担ぎたい、
そういう気持ちは分かるからこっちも
『なんとかいい表情で撮ってあげたい』って思いながら撮ったよ。
そんな風に思うのも、
修正がきかない銀塩をやってるからだよね」
おっしゃる通りです。
「神通力のある写真館」を求めて都内を彷徨う―。
アナウンサー採用試験をした人なら
共感してもらえる経験のはず。
20数年前のバブル期の体験談で恐縮だが
店頭に飾られた写真を見て
「あっ。○○に受かった××さんだ」と色めき立ち
祈るような思いで店内に入った。
何局か連続して落ち、精気を失った顔でいると、
試験仲間たちが「あそこがいいらしいよ」と教えてくれた。
気分一新、スーツを替え、シャツを替え、ネクタイを替え、
金と時間があれば髪型も替え、
最高の作り笑顔を鏡の前で練習し、
焦燥感と、切なさと、僅かに握りしめた希望を胸に
新たな店に入っていく。
ちょっと切ない、今となっては懐かしい記憶が蘇った。
ついでにこんなものも蘇ってしまった...↓
一瞬を閉じ込めた一枚だけど、
その前後の時間の流れ、心の流れは
今でも手に取るように思い出せる。
写真というものの価値を、発見した経験でもあった。
デジタルカメラのように、
何枚でも撮り直しができて、仕上がりの加工も容易にできる、
そんな便利さはないし、
だから、需要が減ってしまったのだけど、
一瞬の時間の重みと、その前後の記憶を、
いつまでも頭の引き出しの中に留めさせる
不便ゆえの、不自由ゆえの吸引力の高さは、
消えていくには、さびしすぎる。
時の流れをうらむじゃないぞ、ともう一度、つぶやいてみる。
今月4日、「TVh道新ニュース」内で放送した
「札幌のアナログ専門写真館 最後の春」は
そんな自分へのつぶやきを形にしたものだった。
「青木肇写場」(札幌市中央区宮の森3条10丁目)は
4月30日に、79年の幕を降ろす。
いろいろなことを胸に刻ませてくれたことに
感謝申し上げます。