人生後半の夢を運ぶ車両
中学の修学旅行で初めて乗ったときは
友達たちと一緒に旅行する興奮ばかりで
具体的な記憶はない。
かの乗り物に特別な感情を抱いたのは、大学4年生のとき。
アナウンサーをめざしての就職活動まっただ中。
初めて1次選考を突破し、カメラテストに臨むべく
名古屋へ向かった時だ。
スーツにしわができていないか必要以上に気にかけつつ
窓の外に富士山が見えたとき、
「俺はいま、新幹線に乗って
人生の大勝負に打って出るのだ」
という高揚感が湧いてきた。
日本が世界に誇る高速鉄道に
自分の未来の運命を委ねた気がした、
新幹線への最初の特別な感情だ。
名古屋に住んでいた12年間、
新幹線は「日常」だった。
中継先から次の仕事へ向かうべく
一駅の移動のために乗りこんだこともあるし、
どうしても会いたい人の顔が浮かんで
(艶っぽい話ではないのが情けないが)
衝動的に夕方の「ひかり」に飛び乗ったこともある。
年末年始の全国高校サッカーの仕事を終え、
鉛のように重たい身体をシートに預けながら
窓から富士山が見えたときに感じた
疲労感とともに味わったたまらない充実感は、今も宝物だ。
北海道に住むようになって、
新幹線は一気に縁遠いものになった。
道外のたいていの場所には、ピンポイントで飛行機で行ける。
「特別」だけど「日常」だった
新幹線で過ごす時間は、
過去の思い出として、
年を追うごとに心の引き出しの奥のほうに移っていき、
「空の旅もまた、いいかな」と感じるようになってきた。
そこへ、新たな炎が上がった。
「北海道に新幹線がやってくる」
徐々に情報が増えていく度に
引き出しの奥からちらちらと
思い出が顔を覗かせるようになった。
そんな中命じられた、一つの仕事
「北海道新幹線の報道向け車両公開を
現地でレポートしてきてください」
札幌から大沼公園駅までの移動車中、
心の引き出しをあれこれと開け閉めしながら
七飯町の函館総合車両基地へ。
細長い倉庫の中に入り
紫のラインが印象的な車両を目の当たりにすると
青春時代を一気に飛び越え
大きな乗り物のポスターを見たときにはしゃいでいた
幼少期の感情が沸き立つ。
定員731人の中で、わずか18席しかない
「走るファーストクラス」グランクラスの座り心地体験や、
運転席まで見せてもらい、
妄想に近い空想が頭の中を駆け巡る。
40代半ばにして味わえた、新鮮な経験だった。
人生の後半に乗り込むことになる、この車両。
今度は、どんな瞬間を、
どんな気持ちで、車内で迎えることになるのか。
未来へのちょっぴりの不安と、大きな期待。
アニメ「銀河鉄道999」の最終回で
「たくさんの若者の胸の中で生まれ、通り過ぎてゆく明日への夢」
というナレーションの一節があったっけ。
城達也さんの、絶品の低音で響くその一節は
子どもの心を熱くした。
「若者」のところを「中年」...とするのはちょっと悲しいので
「大人」と言い換えてみる。
ゴダイゴの名曲が頭の中で流れる中、
帰りの車窓から見た駒ヶ岳は
うっすら雪化粧。
北海道新幹線からこの光景を見るとき、
(札幌延伸後、ということになる)
どんな大人になっているのだろう。
今、自分が思い描く、大人になれているのだろうか。