「ニュースよみよみ大会」
なにゆえに「よみよみ」なのか。
大人の凝り固まった発想からは
生まれえなかった表現だったのでしょう。
先日、娘が通う小学校で行われた
子どもたち自身による企画の名前です。
普段テレビで見ているニュースを
自分たちで読んで、聞いて、
ことばについて考えてみよう、というものです。
その主旨は素晴らしいなあと感心していたら
サプライズゲストとして引っ張り出されてしまいました。
「読んでみたい」と志願した十数名の読みについて
審査員のひとりとして採点する役目でしたが、
読みを数値化することにあまり意味はないので、
採点表の端にある「メモ欄」に
ひとりひとりの特徴を書き込むことを重視しました。
声の質、読みの速さ、伝わり方、
小学3年でも驚くほど個性がはっきりしていて、
とても新鮮な印象でした。
ただ、メモが走り書きだったので
何が書いてあったのか知るのに苦労したと
子どもたちは後日嘆いておりましたが...。
子どもたちのひととおりの読みが終わったあと、
「大藤さんも読んでみてください」とお願いされました。
あらかじめ言われてはいなかったのですが、
まあ、そうなるだろうという予想はしていましたので
実はちょっぴり下読みもしておきました。
最後に、採点の集計までの
つなぎの時間を利用し、
少々お話をさせていただきました。
こうした場合、
子どもたちはわかりやすい「上手く読む方法」を
求めたくなるものです。
その要望に応えるための技術的な引き出しは
当然持ってはいるのですが、
それを知ってもらうことが
今回の目的と考えて欲しくはありませんでした。
普段、当たり前のこととして、
自分が発し、また他人が発するのを聞いている
人間の「生の声」について
ちょっと意識を傾けてほしいという願いがありました。
生の声は、その人の心を表します。
それはとても素敵なことで、
でも、ちょっぴり怖いことでもあります。
お父さん、お母さん、きょうだい、友だち...
いろいろな人と話すとき、聞くとき、
声と、ことばの力について、
ちょっぴり思いを馳せてもらえると、
それを積み重ねて大人になったとき、
とてもいろんなことに気付けるのではないかと思います。
いつも思うことなのですが、
こうしたことを子どもたちに話をするときは
身が引き締まります。
そういう話をしている自分自身が、
ことば、そして日本語の
魅力と影響力に
敬意と畏怖の念を持って仕事をしなければならないと
実感します。
それは自分のためだけではなく、
その言葉を耳にする、
子どもたちの未来のためなのだと思います。
貴重な経験をさせていただき
ありがとうございました。