会社魂のたましい⑭ 内藤食品工業(室蘭市)
“納豆”
この言葉に対して、
明らかに他の人より敏感だ、という自覚がある。
「私、茨城の出身なんです」
と自己紹介すると、
好むと好まざるとにかかわらず、
高確率で返されてきた
「ああ、じゃあ毎日納豆を食べてきたんですね」という声。
この積み重ねがいつしか
この、本当は全国で広く食されている伝統食を
「ソウルフード」と感じる
思考回路が構築された。
午前4時の、室蘭。
アイヌの言葉で
「小さな坂道の下りたところ(=モ・ルエラニ)」という
地名の由来の通り
小さな坂から、寒風が吹き上がってくる。
眼下には、“鉄の街”の象徴である
大製鉄所が広がる。
室蘭らしい場所、といえるところかもしれない。
そこに、「日本一」の看板を掲げる
市内で唯一の納豆工場。
「昔は道路を挟んだ向かいに
製鉄所の社宅が並んでいてね。
朝ごはんのおかずなんて、
今みたいに豊富じゃない時代だし、
作れば作っただけ売れた。
街も、納豆工場も活気があったよ」
高度成長期の、製鉄の街の風景を
内藤孝幸社長は、懐かしみながら語った。
1955年創業の内藤食品工業。
日本の製鉄業の歩みは、
室蘭の街の歩みであり、
そこに暮らす人たちを相手にしてきた
会社の歩みである。
「鉄冷え」の時代を経て
社宅は姿を消し、
食の多様化もあって
納豆の需要は減少。
10軒あった同業者は
一つ、また一つと姿を消し、
今は内藤食品だけとなった。
本州の大手メーカーが
安い製品を大量にスーパーに並べ、
大量にCMを流す。
規模の大きくない地元の納豆工場は
価格を下げたら経営が成り立たない。
「負けず嫌いの職人」の風情が
全身に漂う内藤社長が下した決断は
「買いたいと思わせる、味を追求する」
その最もわかりやすい証として
「日本一を目指す」ことに執念を燃やした。
全国の納豆製造者が出品し
その味を競う
「全国納豆鑑評会」。
1996年の第1回から参加した内藤社長。
道内の仲間たちと切磋琢磨しながら
頂を目指す格闘を続けた。
日々の作業の中で思いついたことを書き留めたノートは
10数冊に及ぶ。
単に技術的なことだけでなく、
その時々の感情の揺らぎ、
喜怒哀楽が正直に書かれてあった。
2010年に最優秀に当たる賞を受けた納豆の名は
「おらが街」。
もちろん、室蘭の街の様子が描かれた包装紙である。
「“室蘭の納豆屋”ということには
いつもこだわっていたいよね」
街を背負って、日本一に挑み続ける。
取材に訪れたのは
今年の鑑評会が間近に迫っていたころ。
「今年は自信があるんだよ~」
と、王座奪回への思いを何度も口にしていた内藤社長。
残念ながらその思いは叶わなかったが、
「ソウルフード」を自認する
茨城出身のいちアナウンサーは
その味と、納豆づくりへの思いに
脱帽しております。
内藤食品工業の会社魂は
3月31日の
「けいざいナビ北海道」で。